短波放送とDX ラエ、世界に向けてアルゼンチン

DX情報番組 2021年3月第1週番組

アルゼンチンのニュースで初めましょう

アルゼンチン南部のパタゴニア地域のネウケン州のサパーラ区にコブンコという小さな村があります。州道3号線と14号線の交差地帯にあり、マリアーノ・モレーノ村に隣接しています。2つの村の人口合わせて、3千人となります。

州政府と地域活性化センターの支援を受け、ラジオのFM放送局が開局となりました。同センターのリカルド・ビジャール代表は都市部から離れている小さな村にとってラジオの存在は大変に必要とされていると指摘しました。

 

 

これらの村々のように、携帯電話の電波も届かない場所では、ラジオの重要性のついて州政府も十分認識しており、日常生活に必要とされる情報がラジオ放送で各世帯に届いているとビジャール代表は述べました。

これらの村々を囲む丘の主要成分が岩盤で、岩を意味するスペイン語、“ラ・ロカ”ラジオという名前で周波数101,9Mhzで、ローカルコンテンツの番組編成で、ローカル音楽が流れ、一番リスナーに人気のあるのは“地域へのメッセージ”というコーナーで、地元住民に関心が高いニュースが流され、皆心待ちにしています。

ラ・プラタ川を渡りウルグアイに移りましょう

ラジオ放送愛好者が好んで集めるラジオに関係する切手についてです。去る2月23日、通信規制連合Ursec創立20周年を記念する切手がウルグアイ郵便局より発表されました。

メルセデス・アラメンディアUrsec代表は全国民に通信技術を届けるため、サーバー、ユーザーと政府は協力しあっていると語りました。

ウルグアイのオマール・パガニニ産業大臣は産業界のイノベーションと活性化のための変革期にとって通信規制は大きな意味をもっていると述べました。

アルゼンチン北部の国境を超え、ボリビアに移りましょう

新型コロナウィルス感染症の集団感染を防ぐため、ボリビア政府と労働連合は、組合に属している放送局より、リモート授業・クラスを放送することを合意しました。

2月1日より、全土でラジオとテレビを通じてリモート授業が放送され、今回の合意で、鉱山事業、製造事業の労働組合のラジオも全国の就学児にリモート授業を提供をする事になります。

アンデス山脈の向こう側、ペルーに移りましょう

国営ラジオとテレビ放送の105基のアンテナがカハマルカ区交通・通信庁により修復されました。3万5千人あまりの住民の子息がリモート授業により2021年度・新学期を始めることが可能になります。“家庭で学ぶ”プログラムです。

修復工事期間は昨年の10月に始まり、本年4月に全ての工事が終了する予定で、最もアンテナが集中している自治体は San Ignacio, Jaén, Chota, San Marcos, Cajabamba, Cutervo, Hualgayoc, San Miguel とCelendínとなっています。

トータルで256基のアンテナが最終的に修復される予定で、1基で50キロメートル四方に電波を飛ばせ、全てのアンテナが修復された暁には10万人の住民が恩恵を受けることになります。長い間放置されてメンテナンスが行われていませんでした。山間地帯などアクセスが難しい場所にあるアンテナがほとんどで、落雷など天候アクシデントに見舞われていました。

僻地に居住している農民や先住民族コミュニティーは国営ラジオ・テレビ放送を通じて情報にアクセスし、就学児らはリモート授業にアクセスし、教育を受けるため、大変重要となっています。

最後にキューバのニュースです

1958年2月24日、キューバで初めてラジオ放送が行われました。キューバ東部のマエストラ山脈より、レベルデ(反抗)ラジオがオンエアとなりました。当時のバティスタ独裁政権に対抗する、フィデル・カストロ指揮官(後の大統領)が率いるゲリラ部隊によるラジオ放送でした。

エルネスト”チェ”ゲバラが一番の立役者で、1895年の2月24日、スペイン統治よりキューバの独立が勝ち取られた戦いが始まった日と同じ日付に最初の放送は合わされました。キューバの独立のための戦い、後にホセ・マルティにより、”必要とされた戦争”と呼ばれました。

マエストラ山脈のど真ん中の Alto de Conradoより放送は行われました。20分間の番組で、闘争歌が流され、1895年の2月24日の出来事が紹介され、そして放送局も建てられました。

レベルデ・ラジオの創立者の1人、リカルド・マルティネス・ビクトレスの著作、”7RR”には後の闘争のために、レベルデ・ラジオは戦略的な重要性に担っていたとあります。フィデルとラウルのカストロ兄弟、チェ・ゲバラや他のゲリラ闘争家の証言、言葉も放送されました。

レベルデ・ラジオは海を超え、国境をこえ、キューバ革命の戦いの声を全世界に届けました。1959年の元旦、その目標、キューバ解放は遂行されました。一時は32の放送局で放送されていました。

レベルデ・ラジオ誕生より63年を迎え、マエストラ山脈から始まったラジオは今日もキューバ革命を支え続けています。