1977年4月30日、ブエノスアイレス市内の5月広場に集った母親のグループがありました。ある日突然武装部隊に捕まり、忽然と行方不明になってしまった息子・娘を探す母の姿がありました。 アルゼンチンは当時 自国の歴史の中で最悪の軍事独裁政権、1年目にありました。3万人の行方不明者を出し、健康、教育、住居や雇用など多岐にわたる生活を支える社会の分野の弱脆化を引き起こし、現在までその影響が続いている多額の対外債務を残しました。 1977年のあの日の午後、広場に集まった母親達のグループの行進をやめさせるため、警察は 「ぐるぐると回れ」と命じます。恐怖心を乗り越え、国全体を覆っていた沈黙を破るため、二人づつ腕を組んでペアで広場で歩き始めました、円を描きながら。 毎週木曜日、広場をぐるぐるぐるぐる回る、円形行進は軍事独裁政権に対する勇気のレジスタンスのシンボルとして全国でも行われる様になっていきました。その中にはアスセーナ・ビジャフロールの様に恐怖政治の被害者として命を落とした母もいれば、行方を捜して再会叶わず亡くなった母もいました。 ノラ・コルティーニャと同じく今でも、平等、正義と言論の真実を失った社会の道しるべとして、何事にも代えられないプライスレスの人間の尊厳を旗印とし 人権闘争を現役で続けている母もいます。 歴史に残る1978年オランダテレビが5月広場の母達をインタビューした際の録音。当時既に「5月広場の狂った女達」として知られていた。   https://cdn.radionacional.com.ar/wp-content/uploads/2020/04/Audio-Madres-Plaza-de-Mayo-mp3-1.mp3     日本語訳・ナレーション: 植田敬子 制作: シルバーナ・アベジャネーダ ウェブサイト: フリアン・コルテス

新型コロナウィールス感染と平行して静かに進行しているもう1つの感染病があります。ヤブカ属のネッタイシマカという蚊が媒体となる感染病、デング熱病です。最悪の場合は死に至ります。 アルゼンチン媒介感染症コントロールセンターの アドリアン・ガロ代表は 現在南米南部では4年ごとに発生するデング熱病感染のピークを迎えていると語ります。 が、アルゼンチン北部やブエノスアイレス市南部の密集住居地ではデング熱病の感染患者が指数関数的に増加しましたが、2016年に記録された7万6千件数と比較すると、今回は大幅な低下が見られると指摘しています。 今回見られる感染は国の中心部、首都のブエノスアイレス市からは離れており、またマスメディアも地方のニュースより欧州のニュースに重点を置いて放送しています。 ガロ代表は 昨年12月より現在までのパラグアイでの21万3000件の感染患者数、ボリビアの7万6000件、ブラジルの73万件 と比べると、昨年の7月から現在まで記録された4万4000件という アルゼンチンの現状は 世界保健機構のリポートと照らし合わせると、他の南米諸国と比べると格段にいいものとなっていると述べています。 このことについて ブエノスアイレス市のフリアン・アトマン感染症専門医は 早期の診断と治療の重要性を際立たせます:   https://cdn.radionacional.com.ar/wp-content/uploads/2020/04/Edit-Dengue-Japones.-mp3.mp3   「重要なのは赤血球と白血球の検査で全てがわかるということ。そしてデング熱病が流行っていて、感染した人がデング熱病が流行しているブラジル、パラグアイ、またアルゼンチンのミシオネス州に滞在していたという事実が分かっている場合は 気をつけねばならない。アルゼンチンでは6月から11月までは蚊が発生する季節ではないので安心して大丈夫だ。ブラジル、ボリビア、パラグアイでは年間デング熱病は流行している」 アルゼンチン媒介感染症コントロールセンターの アドリアン・ガロ代表は現在デング熱病が猛威を振るっているのがブエノスアイレス市、ブエノスアイレス州、サンタフェ州、サルタ州、フフイ州とチャコ州、アルゼンチン北部と北西部となっていると述べています。 国立ブエノスアイレス大学の研究者グループによると、媒体の蚊が、季節に順応しており、デング熱病は季節に関係なく1年を通じて定着する病気に なっている。この熱病を防ぐには、 蚊が発生しないよう、水が溜まる場所や物を排除し、駆除剤を撒き、密集地を避けるということに気をつけなければいけない、と注意を促しています。 日本語訳・ナレーション: […]

1977年4月30日,一群母亲第一次去到布宜诺斯艾利斯市的五月广场,在武装团体将他们的孩子毫无理由的从家中,办公室里和街道上拖走之后,这些母亲们要求她们不知身在何处的孩子活着出现。 阿根廷当时正经历其历史上最严重的公民军事独裁专政的第一年。独裁政府使三万人失踪,国家背负数以万计的外债,以及标志着一个社会衰落的开始。多年来全国许多人一直在获得健康,教育,土地和就业平等方面进行奋斗。 1977年一天的下午,联邦警察告诉她们不可以示威游行。那时,克服恐惧和抵抗沉默席卷全国,于是,母亲们两个人一组紧紧相拥,开始绕圈行走。 五月广场母亲每个星期四都到广场上绕圈行走,这是真正的勇气和对军事独裁抵抗的象征。她们中许多人像阿苏塞纳· 维拉弗勒一样是恐怖的受害者,许多其她人没有找到她们的孩子便离开了人世。 当不平等,不公正和谎言造成严重破坏,而忘记了有无价的战斗力:尊严时,今天的数百人像诺拉·科蒂尼亚一样继续前进。   https://cdn.radionacional.com.ar/wp-content/uploads/2020/04/Audio-Madres-Plaza-de-Mayo-mp3-1.mp3   华语节目主持人: 汲丽娜 制作:西尔瓦娜·阿韦拉内达 网址管理员:朱利安·科尔特斯

Am 30. April 1977 begab sich eine Gruppe von Müttern auf den Plaza de Mayo in der Stadt Buenos Aires, um zu fordern, dass ihre […]

Le 30 avril 1977, un groupe de mères s'est rendu pour la première fois sur la célèbre Place de mai, plein centre de la ville […]

On April 30, 1977, a group of mothers gathered for the first time in Plaza de Mayo, in the city of Buenos Aires, to demand […]

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Contemporaneamente allo sviluppo della pandemia di coronavirus, in alcune zone dell'Argentina ce n'è un'altra malattia che va avanti da un paio d'anni ed è arrivata […]

While the coronavirus hits the world, there are areas of Argentina where another epidemic has been going on for a couple of years, and is […]

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